様々なことを区切っておきたいと思うので、2021年からのことを平明な国語で克明に記したいと思います。
私は2021年7月23日、東京五輪の開会式を見ながら、上田早織さんという女性と婚約しました。滋賀県出身で立命館大法学部出身、SCSKグループを経て、ソフィアテックというIT企業勤務でした。それから、私たちは東京都江東区で同居、生計を一にしていて、将来のことを考えながら暮らしていました。彼女のお父さんは三菱UFJ銀行勤務で、双方安定感のある家庭を築けるという期待を持っていました。住友商事が関わる光半導体を担当したため、以前は住商関連で働いていた彼女に縁を感じたのもありました。
ただ2021年冬頃、私が尋常ではない労力を費やした仕事(ほぼ単独でパワー半導体のバリューチェーンを探れ、という注文でした)を終えて、しばらくゆったりしようと思い、在宅勤務で働いているとき、彼女が私の母に「家にいて困る、変だ」という旨の連絡をしていたそうです。それで、事情を知らない(思い付きで行動してしまうところのある)母は事実と異なるアドバイスを彼女にしたそうです。これが発端だと思います。
その間、私は結婚のこともあって、私の両親に相談する機会が多く、よく電話していました。ですが、特に母は少しずつ奇妙なことを言うようになり、大阪大理学部に勤務する兄が「母はおかしくなっている」という相談をしてきました。その後、私はその連絡内容と指示に苦労するようになりました。仕事に支障もありました。
12月に入り、10日前後でしたが、母は急に豊洲に来て、私を実家に連れて帰ると言い出しました。母は「帰らないなら縁を切る」などと脅すので、私は仕方なく従って、帰りました。それでしばらく私は実家で軟禁されていて(この経緯はすでに英語で書いています)、早織は婚約破棄を一方的に通告してきました。
私は正当な理由がない婚約破棄に合意できず、それを受け入れられませんでしたが(なぜなら私は姿を消したわけでもないし、医師の診断でも健康でした)、先日彼女と連絡を取るとすでに別の人と交際しているということでした。これはもうどうしようもない、ただただ唖然としている、ということで、ここに記しておきたいと思います。
軟禁脱出後の地方紙勤務といい、ほとんどなんら成果がなく、我が家はボロボロになって、この2年間、なんになったんだろうか、と思います。毎日、東大本郷で途方にくれているというところです。

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